2026年6月高得点ランキング

※ランキングは、AI俳人がその月に投句された多くの作品の中から一部を選び、当該時点の基準に基づいて評価したものです。AI俳人も日々精進しているため、講評時のさまざまな状況により評点に偏りが生じる場合もあります。選外となった句の中にも優れた作品は数多くあります。ランキングは句の優劣を決定するものではなく、講評を振り返るための一つの参考としてご覧ください。

AI俳人の採点ランキング1位~3位の発表

1 92点 紫炎

  くちびるに桑の実ぬるる餓鬼大将

AI一茶 講評

桑の実を食べて遊んだ子らの姿が目に浮かぶ。その中でも「餓鬼大将」と置いたところがよい。口の周りだけでなく、くちびるまで紫に染めながら駆け回っておるのじゃろう。威勢はよいが、まだ子どもである。その可笑しさと生命力が一句にある。桑の実という季語もよく働いており、甘酸っぱい味まで伝わる。ただ懐かしさへ流れず、目の前の子を見ておるところに力がある。

2 91点 ゆうた

  滝しぶき皮膚の内側もう他人

AI蕪村 講評

「皮膚の内側もう他人」が尋常ではない。滝しぶきに打たれた瞬間の感覚を、身体感覚の変容として捉えたところに独自性がある。景というより体験そのものを詠んだ句であり、滝の冷たさが内面へ及んでいる。説明し難い感覚を一句へ収めた点は高く評価できる。ただ、抽象度が高く、読者によっては掴みにくい面もある。それでも類想を離れた視点を持ち、読後に不思議な残響を残す。

2 91点 牙郎

  吾の影をぬけて真昼の鮎うねる

AI芭蕉 講評

鮎がうねるのではない。まず影がある。その影を鮎が抜ける。作者は川辺に立っているが、主役は人ではなく水の側にある。人の影が川へ落ちても、鮎はその世界の住人として悠々と流れを行く。真昼の強い光があるからこそ、影は濃く、水は透ける。鮎の身のひるがえる一瞬に、人の存在の小ささまで映っている。川は人を映しても、人のものにはならない。

2 91点 和月

  母のさす日傘の影と口の紅

AI芭蕉 講評

日傘の影の中に、母の口の紅だけが残る。顔全体ではなく、影と紅を見たところに深い記憶がある。母は夏の日差しを避けているのに、その紅は衰えず、影の内側でひそかに色を保っている。若さを言う句ではない。歳月を重ねた人の中に、なお消えない艶を見る句である。日傘の白さや光よりも、その内にある静かな女らしさが、ふっとこちらを向く。

2 91点 悠遊

  土用鰻ひときれ供え父の笑む

AI芭蕉 講評

土用鰻の豊かさを、一尾ではなく「ひときれ」としたところに心がある。供えるという行為によって、食べる喜びは父への記憶へ移る。父が本当に笑むわけではない。しかし作者には、きっとそう見えたのだろう。鰻の匂い、湯気、器の小ささ、そのどれもが亡き人との距離を近づけている。派手な供養ではなく、ひときれだからこそ届くものがある。

2 91点 ゆうた

  紫陽花の毬の奥より闇匂ふ

AI芭蕉 講評

丸い花房の奥を「闇」と見た眼差しが鋭く、紫陽花の華やかさの内側に湿った深みを開いています。「匂ふ」は実際の香りにとどまらず、目に見えぬ気配まで立ち上げ、句全体を暗く静かに包みました。毬という形の把握もよく、外の明るさと内の翳りが一つの花に同居しています。ただ、闇と匂いは強い語同士です。わずかに力を抜けば、その奥にあるものはさらに遠く、深くなるかもしれません。

2 91点 ゆうゆう

  風薫るパジャマのままの日曜日

AI一茶 講評

気負うことなく過ごす休日の心地よさがよく出ておる。朝のうちなのか、昼近くなのか、窓を開ければ風薫る季節の空気が入ってくる。着替えを急がぬこと自体が、日曜日の豊かさなのじゃろう。大きな出来事はないが、誰しも覚えのある時間である。「パジャマのまま」が説明ではなく生活そのものになっており、季語も自然に働いておる。肩の力の抜けた佳句じゃ。

2 91点 神島六男

  墓石に日傘を翳す女ゐて

AI一茶 講評

墓参りのひとときなのじゃろう。強い日差しの下、「日傘を翳す女ゐて」とあることで、墓石と人との距離がふと近づく。自らを守るための日傘にも見えれば、墓石へ差しかけたようにも見える。その曖昧さがよい。語り過ぎぬため、故人への思いも読み手の中に残る。石の熱、静かな墓地の空気まで感じられる句じゃ。季語も景の中へ自然に溶けておる。

3 90点 ゆうた

  土用鰻焦げ目の奥に川の音

AI蕪村 講評

「焦げ目の奥に川の音」が巧い。食卓の鰻から、その命を育てた川へ視線が遡ってゆく。単なる味覚の句ではなく、焼かれた鰻の向こう側に自然の気配を感じ取ったところが面白い。焦げ目という近景と、川音という遠景が一句の中で結び付いている。やや作為的との見方もあろうが、発想に飛躍があり、鰻という季語を食欲だけで終わらせていない。今回の中では一段抜けた一句である。

3 90点 ししい

  身ひとつ降る音の底五月雨や

AI蕪村 講評

「降る音の底」が尋常でない。五月雨を目で見るのではなく、音の深さとして捉えている。さらに「身ひとつ」と置くことで、雨音の中へ自分自身だけが残された感覚が生まれている。写生句というより感覚の句であり、読む者によって解釈は分かれるだろう。しかし説明しきれぬ孤独や沈潜が一句の奥にある。抽象へ寄る危うさはあるものの、他句にはない独自の余韻を持つ。

3 90点 ゆうた

  鏡の奥の鏡の奥へ草茂る

AI蕪村 講評

「鏡の奥の鏡の奥へ」と視線を幾重にも送り、その果てへ「草茂る」を置いた構図が際立つ。室内の鏡像が反復しながら、最後には戸外の緑へ抜けてゆくようで、人工の奥行きと夏草の生命が不思議に交わる。同じ語の重なりは単調になりかねぬが、本句では迷路のような遠近を生み、草の繁茂を現実とも幻ともつかぬものにしている。ただし、鏡の位置関係は読者に委ねられるため、景はやや観念へ傾く。それでも、視線の行き止まりに草を生やした発想には、忘れがたい妖しさがある。

3 90点 ゆうた

  朝雲や骨の継ぎ目に風の入る

AI芭蕉 講評

朝雲の淡さに対して、「骨の継ぎ目」は深く身体の奥へ降りている。風が肌ではなく骨の継ぎ目へ入るという感覚に、老いか疲れか、あるいは朝の冷えの鋭さがある。雲は空にあり、骨は身の内にある。その遠い二つを、風がひと息でつないでいる。説明されれば重くなるところを、ただ感覚として置いたのがよい。朝の白さの下で、身体だけが季節を先に知っている。

3 90点 淳風子

  向き合いの窓に簾や風呂上がり

AI芭蕉 講評

簾は隠すためのものだが、この句ではむしろ人の暮らしを知らせている。向かい合う窓の双方に簾が掛かり、その奥に誰かの夜が始まっている。風呂上がりという下五も効いている。湯気の抜けた身体は風に敏く、簾越しの気配にも耳を傾ける。顔も名も知らぬまま、同じ夕涼みをしている者がいるのだろう。見えぬことによって近くなる距離もある。

3 90点 剣片喰

  田植え終えかわずの声の湧きにけり

AI芭蕉 講評

田植えの後、田は人の手を離れる。その瞬間を待っていたかのように、かわずの声が湧く。鳴くではなく「湧く」としたところで、水田そのものが声を持ち始めた。人の働きが済み、苗の列が静まり、水の面が少し落ち着いたころ、今度は蛙たちの時間になる。田植えと蛙を並べただけでなく、場所の主がそっと入れ替わるところまで見えている。水の奥から声が増えてくる。

3 90点 航海

  うたたねの五月雨一つほほに落つ

AI芭蕉 講評

五月雨は外に降り続いているのだろう。けれど眠りの中で受け取ったのは、頬に落ちた一つだけである。「一つ」と数えたことで、無数の雨が一滴の記憶へ変わった。うたたねの浅い眠り、開け放たれた窓、湿った空気。そのどれも言い切らず、頬への触れだけが残されている。夢と現の境に、雨がそっと手を置いたような一句である。

3 90点 ゆうた

  田植機の去りし水面に空のあと

AI芭蕉 講評

田植機が去ったあとを見ているところがよい。人も機械もすでに退き、残った水面に空だけが映っている。田植そのものの賑わいではなく、終わった後の静けさを掬った句である。「空のあと」という言い方に、通り過ぎた作業の名残と、再び水田が空を受け取る時間が重なる。苗の列も泥も言わず、水面へ戻った空だけを置いたところに余白がある。

3 90点 仙明

  桑の実や友の膝にも紫紺房

AI一茶 講評

桑の実を摘んでおったのじゃろうか。「友の膝にも」とあるところが実によい。自分だけでなく、隣の友にも紫の実がこぼれ落ちておる。その様子に目を留めたところに親しみがある。手も口も服も染まりやすい桑の実の季節、その賑やかな時間まで見えてくる。友情を言わず、膝に落ちた実ひとつで伝えたところが好ましい。読後に紫紺の色が鮮やかに残る一句じゃ。

3 90点 よもぎ

  砥石出し卯月曇や包丁研ぎ

AI一茶 講評

卯月曇の薄い明るさの下、砥石を出して包丁を研ぐ。大きなことは何も起きておらぬが、その静けさがよい。水を含んだ砥石の匂い、刃を滑らせるしゃっしゃっという音、台所の低い光まで見えてくる。「砥石出し」と始めたことで、暮らしの手順がそのまま句に入っている。卯月曇の湿りと、研ぎ水の冷たさもよく合う。働く手元へ目を寄せた、落ち着いた一句じゃ。

3 90点 康寿

  出汁香る簾の並ぶ先斗町

AI一茶 講評

先斗町の細い通りを歩いておると、店先から出汁の香りが流れてくる。その匂いと簾とがよく結びついておる句じゃ。人の姿を出さずとも、暖簾の奥で支度する手や夕暮れの気配まで感じられる。「出汁香る」と始めたことで、まず鼻が景へ導かれるのもよい。先斗町という土地の力も借りておるが、観光の説明にはなっておらぬ。暮らしと商いの匂いが自然に立ち上がる一句じゃ。